ウガンダ国内にはいくつか難民居住区があります。
縁あって、そのうちのひとつ、ウガンダ西部のイシンジロ県にある難民居住区を訪ねることができました。
この難民居住区はもうできて50年くらい経つとのこと。
暮らしている難民の方々は、スーダン、ソマリア、コンゴ、リベリア、エチオピアなどさまざま。
もう長いこと難民居住区となっているだけあり、それぞれの出身地域ごとに居住区も整備されていました。
雑貨屋さんもあったり
ソマリアからの難民であるアリマさんにアテンドをしていただいて、ソマリア地区、エチオピア地区、コンゴ地区を訪問。
アリマさんは大学まで出た優秀な女性で、英語がとても流暢。
そしてソマリアは元イタリア統治であったためイタリア語も流暢でソマリ語も話すのでトリリンガル!
ソマリアはもう長いこと無政府状態が続いていて、アリマさんはこの難民居住区に避難してもう20年以上が経つとのこと。
イスラム教徒であるソマリア人の居住区は、高い薮で塀が作ってあって、家が外から見えないように工夫が。
一件のお宅にお邪魔させてもらうと、小さな庭もあるけれど狭い2部屋に2家族が住んでいたりしていて、とても満足できる生活状態じゃない。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によってお米などが支給されることもあるけれど、基本的には食料や衣料品は自分たちで調達するそう。ソマリア人の主食はお米やパスタだけれど、ウガンダでは高いために安く手に入るマトケやポショを食べることも多いみたい。
居住区内には雑貨屋さんやサロンなどウガンダの村のように、お店屋さんもあって、そこで働いている人ももちろんいるけれど、それでも仕事不足は深刻。
それに居住区内に小学校はいくつかあるけれど、中学校は1校のみで多くの場合女の子は行けない。男の子でも学費が払えない場合が多く、小学校を卒業しても家にいることが多い。
いつ、終わるかわからないこの生活に、彼らはどうやって希望を見いだしているんだろう。
そんなことが悶々とあたまに浮かんだりした。
難民居住区ではゲリラからの襲撃はないし、身の危険からは逃げられる。
UNHCRをはじめ日本政府も援助をしているし、他の国や団体の援助でなんとか食べても行ける。
でも、それだけで「平和」だと言い切ることはできなくて。
家族と一緒にいられること、いることで幸せを感じられること、学校で教育を受けられること、仕事があること。
こんなふうに自分の居場所があることが大切。
いろんな、複雑な要素が組み合わさってはじめて平和って達成されるんだな、って気付いた。
数時間の滞在で見える部分はほんの少しだけれど、それでもたくさん勉強になった。
オーガナイズしてくれた隊員と受け入れてくれた難民居住区のみなさまに感謝!