2013年9月29日日曜日

おかえりジャスティンとウガンダウェディング


JICAの研修で日本に行っていたジャスティンが帰ってきました!
もう会ったのっけから「こんにちは〜」「ありがとう〜」「ちょっと待って〜」と日本語のオンパレード。
温泉行った?刺身は食べた?ふとんで寝た?電車に乗った?などなど私の質問攻めにほとんどにイエスで答えるあたり、さすがジャスティン、チャレンジ精神旺盛!
よっぽど楽しかったようで、学びも多かったようで、よかったよかった◎
研修のテーマであった地域開発は、彼が大学時代から取り組んでたトピックだったから尚更。
また日本に行きたい、という言葉を聞いて、とってもハッピーだったのでした。
そしてうちに遊びに行ったら、まさかのウガ飯をお箸で食べるというミスマッチに遭遇(笑)
でも滑るお肉もパラパラのウガンダライスもお箸で食べれるジャスティンに拍手。


わずか20日足らずでこんなにお箸をマスターするなんて、すばらしい。



そんな彼と共通の友人たちが、本日結婚式を挙げました。
初めて、ウガンダ人の結婚式に参加。
ウガンダ人の結婚には、2つの段階あって、はじめに両親や親戚など近しい人に相手を紹介するイントロダクションセレモニーあって、そのあとまた別の日に結婚式が開かれます。
その2つを終えて晴れて結婚したと言えます。
イントロダクションはほとんどの場合、伝統的なウガンダの方法でやるらしい。
新郎が牛やヤギなどを新婦に送るのだとか。
今回わたしが行ったのは結婚式だったので、残念ながらこういうのはなかったのだけれど。

新郎スティーブンと新婦のマリアム。



二人ともクリスチャンだったので教会での式。


たくさんの人が集まって



歌って、踊って、牧師さんの説教、がひたすら繰り返されて3時間半。

さいごに結婚証明書にサインをして、無事に式が終わりました。



終わったーと思っていたら、これから写真を撮りに一流ホテルのガーデンに行くよー、というのでついていかせてもらいました。

曇り空だったのがちょっと残念だったけれど、こんなおふざけ写真もとりながら、



和気あいあいと写真撮影。




ちっちゃい子もばっちりポーズが決まってる。
みんなほんとに写真撮られるの大好きなんだなーと思う。


そんなこんなで、たくさん写真も撮って、めでたしめでたし。
ホテルのあるタウンから村まで戻ってきて、家に帰るかと思いきや、パーティーがあるよ、とのこと。

空き地に大きなイベント用テントが設置されて、赤い絨毯が敷かれて音楽隊もスタンバイ。



5時すぎに始まったこのパーティーではまずケーキカット。



それからご両親のあいさつ、プレゼント贈呈、そして料理ができるまで永遠と続く歌とダンス。。。
もともとランチだったはずの料理は結局6時半ごろにでてきて、食事後、無事にパーティーもお開きとなりました。


長いながーい結婚式、でも始終和やかで歌も踊りも絶えなくて、なんともウガンダらしいセレモニーなのでした。

Happy wedding to Steven and Milliam!

2013年9月25日水曜日

09/25


小学生の頃、クラスに中国人の男の子が転校してきて、難しい中国語の漢字がスラスラ書けて、歌のような発音の中国語が話せるなんて、すごいなーうらやましいなーとのんきに思ってた。
はじめのころは全く日本語がわからなかった彼だけど、子どもには言葉なんかあんまり必要じゃなくて、遊んでいるうちにいつのまにかコミュニケーションができていたりする。
そんなわたしたちのやり取りを担任の先生はとても驚いていて、当時は「なんでそんな簡単なことに驚くんだろう?」と思っていたけれど、異文化のなかで暮らす今、先入観が少なくて、シンプルなコミュニケーションが成り立つ子どもの感覚はすごいなと思うし、とってもうらやましい。

それでもやっぱり言葉が通じないもどかしさは当時からあって、ときどきどうしても言葉で伝えなくちゃいけないことがあると、別の学年にいたバイリンガルの子を連れてきて、中国語に訳してもらっていた。そんな様子が焼き付いていたから、言葉がわかれば人はずいぶん簡単にわかり合えるんだ、って思ったし、なんて便利なんだろう!って感動した。

だから「言葉が通じるのにわかり合えない世界」があるなんて、正直よくわからなかった。
英語が少し使えるようになってからも、話せばわかると思っていたし、実際それでなんとかなることがいままで多かったから。

でも、ウガンダに来て一番最初にあたった壁がこの「言葉が通じてもわかりあえない」っていうことだった。
お互い、英語で言っていることは理解しているはずだけれど、深いところで共通認識が持てない。
だからすれ違いになる。

どうして?なんで?と思いつつ、それでもはじめは一生懸命、わたしがウガンダ人になろうとおもって、彼らの価値観を自分のものにしようと必至だった。
でもそれが辛くて辛くて。

結局、わたしは絶対にウガンダ人にはなれないし、ウガンダ人全員にわたしを理解してもらうのも無理だって気付いた。

異文化はそう簡単に理解できない。
それでも。
わたしの価値観を認めてくれるひとがいて、わたしも彼らの価値観を認めて、少しずつ受け入れていけばそれでいいのかな、って思うようになった。

Agreeできないけれど、へぇ、そんな考え方があるのか、と思うこと。
理解できなくても、受け入れる。

それがこの1年の大きな学び。
それがわかってから、ずいぶん楽になった気がする。


そんなこんなで過ぎてみると早いもので、ウガンダに来て今日できっかり1年。
初めての海外生活。
正直何の覚悟もないまま、慌ただしく出国してしまって、
友人にもらった手紙を読みながら、飛行機の中でちょっと不安に思った、そんな1年まえ。

辛いことも悩ましいことも、いろんな葛藤もあった1年。
でも、どれもこれも日本じゃ向き合ってこなかったものだらけで、すべてが新鮮で。
こんなに濃い1年も人生で初めてだった。
過ぎてみれば、出来事すべてが良いネタになっていて、
おかげさまで毎日楽しく充実している、そんなウガンダ生活。

まだ、活動面では成果らしい成果はあげられていないけれど、笑顔になれるひとが増えるように、できることを少しずつやっていこうかな、というところ。

2年目もますますパワフルにがんばるよー!


2013年9月19日木曜日

アフリカで一番高い場所(登って登って下り坂の巻)



アタック当日は午前2時に起床。
チャイとビスケットを食べて装備の最終確認。
気温の低い高地では、懐中電灯の電池やカメラのバッテリーなどすぐ消耗してしまうので、ヘッドライトの電池を新しくして、手袋も二枚装備、上着は7枚、ズボンは3枚、靴下も3枚でアタック開始!
気温はマイナス5℃。
チューブでお水を飲めるキャメルバックも凍ってしまう寒さ。
暗闇のなかをヘッドライトを頼りに歩きます。
寒いし、息も苦しいし、歩き始めたとたん心が折れそう。
でも落ちてきそうなほどの満点の星空が綺麗で、ゆっくり歩を進めて行く。

そして午前6時。

待ちに待ったサンライズ。

太陽が出たところももちろん綺麗だったんだけれど、太陽がでる寸前の夜と朝とのわずかな境界の時間がとても素敵だった。

それから、あとはひたすら岩だらけの急な坂道を登って行く。



“We are about!” (もうすぐそこだ!) をアヤちゃん(ガイド)は連呼するけれど、そんな雰囲気は微塵もない。
9時をすぎるころになり、頂上から降りてきた登山者たちとすれちがうことが多くなった。
“ Summit was great! Almost there!”(頂上最高!もうすぐそこだよ!)と言うかっこいい白人のお兄さんにそそのかされて頑張って歩くも、やっぱり頂上は見えない。
それもそのはず、最初の目的地は見えている斜面のはじっこなんだから。


見えてはいても、遠い遠い。

登って登って登って…
10:30頃、やっとはじっこに到着。
その名もステラポイント。



標高5739m
なんだか別の惑星に来てしまったんじゃないかというような風景。



ここで少し休憩して、頂上ウフルピークまであと45分の道のり。

もちろん45分では着かないんだけれど。
途中には氷河があって迫力満点、綺麗でした。



ゆっくりゆっくり歩いたけれど、それでも午後1時すぎ、アフリカで一番高い場所、ウフルピークに着きました。



チーム全員で頂上にたどりつけたのが何よりうれしい。
感動を噛み締めて写真撮影をして、いざ下山。

じつは、登りよりもくだりの方が悪夢だった。
10時間近くかけて登った道を、わずか4時間足らずで降りるという暴挙。
午前2時から起きてるから歩きながら眠れる勢いだし、
もう足が生まれたてのバンビみたいにガクガク。
休みたい一心でキャンプにたどり着いたのは午後4時ごろ。
優しい味のパスタのお昼ご飯を食べたら、アヤちゃんから鬼の一言。
「これから下のキャンプ地に移動するよ〜」
ということで、1時間も休まずに3800mのキャンプ地まで下山。
暗い山道を痛い足を引きずって、なにも考えられないまま歩く。
2時間で着くと言われたけれど、バンビの足じゃ3時間かかった。
結局、16時間くらい歩き続けた1日でした。
こんなに歩くことはもう人生でないでしょう。
やっとキャンプに着いて、夕食もそこそこに寝る。

10時間以上、ぐっすり眠った翌朝。
この日は2時間だけ歩いて下のキャンプ地へ。
キャンプに着くなりトランプで大富豪。頂上に行った安心感で、もう何でも楽しくなりました。

そして最終日。
出発前にガイドやポーターさんたち一同が、キリマンジャロの歌を歌ってくれました。



長い長い6泊7日、彼らの支えがあってこその登頂でした。


この登山中に日本で2020年のオリンピックが開催されるというニュースを聞いたので、あと7年後の開催するころ「あ、このニュース、キリマンジャロで聞いたんだ〜」と言うのが楽しみでしょうがない()



前回のエルゴンも今回のキリマンジャロもしかり、山に登ると自然の荘厳さを感じるとともに、日頃自分がとても恵まれていることを実感する。
そしてちっぽけな人間の自分だけれど、一歩一歩進めばアフリカの一番高いところにも行けちゃうんだな、とちょっと驚き。

でも帰国して家に帰って、部屋のなかで大きいゴキブリが3匹も死んでいるのを見て絶叫するあたり、まだまだちっぽけな人間だなーとも感じました。


Thanks a lot climbing members!
Thanks a lot Kilimanjaro!

2013年9月17日火曜日

アフリカで一番高い場所(登り坂の巻)


ウガンダで2番目に高いエルゴン山、4321mの登山からきっかり1か月。
こんどはアフリカ最高峰、タンザニアにあるキリマンジャロ山へ行ってきました。

麓のモシタウンから見たキリマンジャロ山

日本では全くもって山ガールではなかったのに、勢いで決めてしまったキリマンジャロ登山。
出国前日に動物園ではしゃいだり、出国当日にビザを取りに行ったり、あたかも余裕綽々のように振る舞っていたけれど、内心ビビリまくり。
3泊4日のエルゴン山で、もう懲り懲りだったしね。
4000m級のエルゴン山で心が折れそうだったしね。
それにもかかわらず、アフリカ最高峰のキリマンジャロ、行っちゃいました。

全行程6泊7日。
標高は5895m
ほぼ6000mってことは、プロペラ機が飛ぶ高さと同じくらいだそうです。つまりは、人間がいるべき高さじゃないってこと!
それを聞いて更に小心になる。

そんな不安満載のなか、頼りになったのがアヤちゃんことガイドのAYAKO。(本名!)
かわいらしい名前とは反対にあごが割れてるゴツめの顔立ちだけど、キリマンジャロに176回の登頂記録を持つ、ガイド歴8年の大ベテラン。
彼とサブガイドのジュリアス、シェフ1人、ポーター14人の計17人のチームで、7日間の山登り開始。


キリマンジャロの山頂に行くには、7つのルートがあります。
全部山小屋泊ができるルートから、植生が楽しめるルート、難易度の高いルートなど様々。
今回は、植生も風景も楽しめて、高地順応もできるマチャメルートでの挑戦。

記念すべき第1日目はキャンプ地まで18kmの道のり。
まるで「もののけ姫」の舞台のような、太古の森を突き進む。

といっても、登山道はしっかりしていて、この地点ではまだトイレが途中にあったりする。(もちろん水洗ではないけれど)
お昼はサンドイッチ、ゆで卵、ローストチキンなどのお弁当をピクニックよろしくいただく。
そして17時ごろ、マチャメキャンプ(2829m)に到着!
もうすでにポーターさんたちは到着していて、テントも準備万端。
すぐに洗面器で温かいお湯が出てきて顔や手を洗って、食事用テントのなかへ招かれる。
ディナーを待つ間、お茶類とポップコーンをいただきながらまったり。

エルゴン山では自分たちで料理もしていたから大変だった。
料理の手間がないのは、疲れた体にすごくありがたい。

ディナーはさすがシェフが作るだけあって、任地で食べるものよりも豪華。
スターター、メイン、デザートとでてきました。


オシャレなスターターのチキン

ご飯がおいしいのでテンションもあがる!

2日目は3837mのシーラキャンプまで9kmのトレッキング。
ごつごつした急な岩場を登って行く。
3000mを越えるとさすがに息も切れてくるんだけど、飄々と重い荷物を抱えながらも歩くポーターさんたちを見ると本当に頭が下がります。

この日は朝早く出発したこともあり、お昼にはキャンプ地に到着。
目指すキボハットが夕日に照らされて、綺麗に見えました。


みんなで夕日を眺めながら、気合いを入れ直す。

3日目は高度順応の日。
4637mのラバタワーキャンプまで上がり、3976mのバランコキャンプまで下がって宿泊。
高山病予防の薬を飲んではいても、やはり油断は大敵。
ちなみに高山病の予防には、お水をたくさん飲むことが必要。
そして予防薬には利尿作用があるのでトイレに行く回数がすごく増える。
高地に行けば行く程、水を飲まなくちゃいけないけれど、その分トイレも行くので大変。それだけで息が切れる…
でも酷い頭痛や吐き気に苛まれることに比べれば、たくさんトイレに行くほうがずいぶんましなんだろうな。
しかも夜にはトイレへ行くついでに天の川や流れ星など、満点の星空が見られて、なんとも嬉しいのです。

そんなわけで4600mを越えての高度順応。

やっぱり息は切れるけれど、ゆっくり登ったからかエルゴン山の時ほどきつくは感じなかった。

壮大な景色があったからなのも理由の一つだろうけれど。

4日目は4673mのバラフキャンプを目指す。
さすがに高地になると植物の背丈も低くなってきて、瓦礫のような石がたくさん道に散らばっている。
こんな風景を英語ではalpine desert(高地砂漠)って言うみたい。
急な上り坂も多いし、4000mを越えると息も苦しくなってくる。
だけどこの日のキャンプ地はもう天空の地で、雲がすぐ近くに広がって幻想的な風景でした。



それでもさすがに4600m越えでのキャンプは辛い…
水も食品も冷蔵庫に入れてるかのようにキンキンに冷えるし、テントから出てトイレに行くだけで息が切れて一苦労。
そうしてあまり眠れないまま、登山開始5日目、頂上アタックスタートの午前3時に。

登って登って下り坂の巻につづく!