小学生の頃、クラスに中国人の男の子が転校してきて、難しい中国語の漢字がスラスラ書けて、歌のような発音の中国語が話せるなんて、すごいなーうらやましいなーとのんきに思ってた。
はじめのころは全く日本語がわからなかった彼だけど、子どもには言葉なんかあんまり必要じゃなくて、遊んでいるうちにいつのまにかコミュニケーションができていたりする。
そんなわたしたちのやり取りを担任の先生はとても驚いていて、当時は「なんでそんな簡単なことに驚くんだろう?」と思っていたけれど、異文化のなかで暮らす今、先入観が少なくて、シンプルなコミュニケーションが成り立つ子どもの感覚はすごいなと思うし、とってもうらやましい。
それでもやっぱり言葉が通じないもどかしさは当時からあって、ときどきどうしても言葉で伝えなくちゃいけないことがあると、別の学年にいたバイリンガルの子を連れてきて、中国語に訳してもらっていた。そんな様子が焼き付いていたから、言葉がわかれば人はずいぶん簡単にわかり合えるんだ、って思ったし、なんて便利なんだろう!って感動した。
だから「言葉が通じるのにわかり合えない世界」があるなんて、正直よくわからなかった。
英語が少し使えるようになってからも、話せばわかると思っていたし、実際それでなんとかなることがいままで多かったから。
でも、ウガンダに来て一番最初にあたった壁がこの「言葉が通じてもわかりあえない」っていうことだった。
お互い、英語で言っていることは理解しているはずだけれど、深いところで共通認識が持てない。
だからすれ違いになる。
どうして?なんで?と思いつつ、それでもはじめは一生懸命、わたしがウガンダ人になろうとおもって、彼らの価値観を自分のものにしようと必至だった。
でもそれが辛くて辛くて。
結局、わたしは絶対にウガンダ人にはなれないし、ウガンダ人全員にわたしを理解してもらうのも無理だって気付いた。
異文化はそう簡単に理解できない。
それでも。
わたしの価値観を認めてくれるひとがいて、わたしも彼らの価値観を認めて、少しずつ受け入れていけばそれでいいのかな、って思うようになった。
Agreeできないけれど、へぇ、そんな考え方があるのか、と思うこと。
理解できなくても、受け入れる。
それがこの1年の大きな学び。
それがわかってから、ずいぶん楽になった気がする。
そんなこんなで過ぎてみると早いもので、ウガンダに来て今日できっかり1年。
初めての海外生活。
正直何の覚悟もないまま、慌ただしく出国してしまって、
友人にもらった手紙を読みながら、飛行機の中でちょっと不安に思った、そんな1年まえ。
辛いことも悩ましいことも、いろんな葛藤もあった1年。
でも、どれもこれも日本じゃ向き合ってこなかったものだらけで、すべてが新鮮で。
こんなに濃い1年も人生で初めてだった。
過ぎてみれば、出来事すべてが良いネタになっていて、
おかげさまで毎日楽しく充実している、そんなウガンダ生活。
まだ、活動面では成果らしい成果はあげられていないけれど、笑顔になれるひとが増えるように、できることを少しずつやっていこうかな、というところ。
2年目もますますパワフルにがんばるよー!
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